園長先生のコラム

6がつのコラム (2017年06月01日)

教育の力

~真理は人を自由にする~ 聖書

福井に来てうれしいことの一つに漢字学の白川静のことを色々な所で見聞きできることがあります。漢字の成り立ちは福井の学校教育の中でも、あるいは公共の施設でも触れる機会があり、これはまさに教育の賜物です。日本全国の中で、福井程白川静の漢字学を教育の中に取り入れている町は無いように思いますし、東洋学の基礎となる漢字学を大いに興味を持ち学ぶ子どもたちが増えることは、自由な学府の雰囲気を高めてくれることでしょう。

一方で、他者に対する非寛容さや排他性も教育が大きな影響力を持っているものです。異質な他者に対する理解を拒否する教育や、一方的な押しつけの教育は、そのような思考、行動へとつながる影響力を持った教育です。ここ数年、憲法を無視した安全保障関連法が可決されたり、武力による解決法が避けがたいものかのような雰囲気が作り出されているような気がしますが、これらは教育に対する脅威であり、挑戦であるような気がしています。

今一度教育の持つ影響力と力を心に留めたいと思います。聖書に「真理は人を自由にする」という言葉があります。私たちは意識するのとしないのとにかかわらず、色々なものに影響を受け、自由であるようでいて自由さから遠ざけられていたり、自由について考えることも、その意味や中身を意識することもないのかもしれません。

いつしか人はこれ以外に選択肢が無いとか、しょうがないという思いの中で今を生きることを余儀なくされています。その一つの例が貧困、格差、戦争であり、なくならないという思考や思いが、現状を作りだしているともいえます。戦争や武力による解決は自由さを失った者の姿です。人は共に生きることが出来、自分が他者に対してどのような思いを抱かせているのかを振り返ることが出来、逆に他者の思いを汲み取るために努力することが出来るのです。先日ある教育の専門家の方から「言っても通じないと嘆くよりも、自分の言い方を少し変えてみては」という言葉を頂きました。教育保育の現場で、人と人との間で、幼稚園とご家庭との間で、そしてお友だちとの間で、毎日営まれている触れ合いと共に生きるための努力。それはこの教育の専門家の方の言葉の実践に他なりません。教育は共に生きるために自分の心を自由にし、振り返ることであって、他者を否定するためにあるものではないことをその教育者の方から教えて頂きました。教育の力は私たちが共に生きるための力です。