ちゃぷれんの広場

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2月のこらむ (2018年02月01日)

人はパンのみによって生きるのではなく、神さまの言葉によって生きる

聖書

昨年末、父が天国に召され、 多くの方々に見送って頂きました。特に保護者会の皆さんの祈りと励ましに感謝いたします。

この一カ月は、バタバタと過ごすことが多く、自分としては気を張っていたのかもしれませんが、何となく父の死に向き合うことを拒否しているような自分を見出します。

最近、ある先輩牧師さんから説教原稿とお手紙が送られてきました。自分が作った説教原稿を送るというのは、ある種牧師同士の中の慰めや励ましのようなもので、牧師は基本的に聖書の言葉を思い巡らすことを、生きる糧としていることでもあり、先輩牧師さんがしてくださったことは、私にはありがたいことでもありました。

お手紙には、父のことを気遣ってのことが書いてあり、先輩牧師さんなりに、私を励まし慰める意味で、説教原稿をお送りくださったことが伺えました。

私がこのお手紙を受け取って感じたことは、いつもならあまり気に留めなかったのですが、私のことを心配してくれている人がいるということでした。心配してくれている人がいる、言葉だけではなく、何かの仕草や思い、気持ちを通して、慰めてくださっている。そのことをいつもよりも意識するようになりました。

ありがとうございます。聖書の言葉も、そもそもは慰めや励ましの言葉であったのでしょう。父の洗礼名は慰めの子バルナバと言いました。父はその名前が好きで私の洗礼名もバルナバとつけました。慰め励ます者バルナバ。

父の逝去にあたり、慰め励ます者は、慰められ励まされる人のことを言うのだと、教えられているような気がします。


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