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今年度の園長先生のコラム

3月の内容
教会の暦では、今レント(大斎節)という季節です。
イエスさまが当時としては、新しいと思われる教えを布教するにあたって荒野で40日間祈りと断食のご修行をされたことを深く覚えて、キリスト者も信仰の原点に立ち返ることを推奨される季節です。
牧師という奉仕職につき今年で満29年です。長いようであっという間のような気がします。
果たして自分は牧師としても教育者としても成長したのか、いや初心を保つことさえできているのだろうかと反省してしまいます。
年を取るごとに長いものに巻かれ、臭いものに蓋をして言い訳と処世術だけ上手くなってきたのではないだろうか。

イエスさまは荒野でサタンの誘惑を受けました。
「空腹なら石をパンにかえたら」とサタン、「人が生きるのは食物だけでなく、神さまのみ言葉に生かされているのです」とイエスさまは切り返します。
「高いところから飛び降りてごらん、天使が助けてくれるらしいから」の誘いに「神さまをためすものではなく、信じることこそ大切」といわれました。
最後にサタンは世界を見渡せる高い山にイエスさまを連れて行き「私を拝むならこの世界をあなたの手に渡しましょう」といいます。
イエスさまは「神さま以外に誰に心をわたせるものですか。私から去りなさい」と毅然とした態度で臨みました。

とかく人は、目に見えるものや力になるものを手に入れたいと思い、そして、神さまや人を信じることを忘れ、
手段を選ばず目的を達しようとしがちです。
たくさんの人々がサタンの誘惑と気づかずに、大切なものを失っているのではないでしょうか。
額に汗して働くことを忘れ、お金を移動させるだけで巨額の利益を求めることを知ってしまった人々がいかに多いことでしょう。そして、それが大きな間違いであることに気づくのが遅すぎることが不幸を招くことになるのです。

聖三一幼稚園から年長組の子どもたちが卒園してゆく頃となりました。
「世の中で本当に大切なものは何なのか」
「人は何によって生きているのか」
「人は何をするために生まれてきたのか」幼稚園で学んだことと思います。

卒園してゆくひとりひとりを思い浮かべながら聖書に聖句を書いています。
   「 光の子らしく 歩みなさい 」 
          エフェソの信徒への手紙5章8節
大きく育って、神さまとともに歩まれることをお祈りしたいと思います。
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2月の内容
先日、マンションの隣の住む女性を殺害して遺体を損壊し、こともあろうにトイレで流した事件のH被告に極刑である死刑の求刑が検察からなされた。
残虐非道、言語道断の犯罪であるので殺害した人間は一人でも量刑は相当であると多くの人々は考えたに違いないと思います。
今回の裁判では5月から導入される原告被害者家族の参加、裁判員制度を含む裁判制度の改革を意識した裁判であるように感じがします。
福井裁判所の近くに住んでいるからではありませんが、今回の裁判がとても気になりました。
被害者の立場から見るとあまりに残酷な犯行状況の具体的説明がなされたり、
被害者家族の裁判に参加する権利を重要視する一方、十分な心理的ケアがなされているか心配なことです。
もちろん、すべての犯罪者の人権が守られるべきことは言うまでもないことです。
弁護側の「被害者家族が被告を何回死なしても飽き足りない思いをもっているし、
検察官が死刑を求刑し、さらには被告人本人も死刑になることを望んでいる。
ここで裁判官が死刑を言い渡すという結果なら、何のための裁判なのでしょう。
被告人には一生かけて被害者の魂の平安を祈る責任を課していただきたい」との旨の弁論があったそうです。
裁判官も考える時間が必要と見たのか判決する日を延期した報道がなされました。
2007年9月ときの鳩山邦夫法務大臣が、
「法務大臣による署名」を廃止して死刑を自動化できないかと発言しました。
法務大臣を死刑執行の責任から開放し、かつ刑執行の効率化を図り、未執行者(当時100人以上)が増加している現状に対応する事を意図して提言をおこなったのでしょう。
具体的には死刑執行決定権を法務大臣から剥奪し、司法当局が死刑執行者の決定を機械的(鳩山氏は乱数表と表現)に行い、主観的かつ恣意的な判断を介在させず、死刑囚個々の状況を考慮せずに行うべきとのものでした。
この発言に対し、死刑廃止を推進する議員連盟会長亀井静香衆議院議員(国民新党)は強く批判しました。
亀井議員は「本当は死刑の執行命令をしたくないのが本音だろう」との主旨を発言しています。
団藤重光元最高裁判事(死刑廃止論者)は、「鳩山大臣は世界の大勢を知らなさすぎる」と批判しています。
実際世界は死刑制度廃止の方向に進んでいる中にあってわが国では1993年4月に後藤田正晴法務大臣(当時)が復活させて以降、2008年現在まで毎年行われています。
2004年以降31人が執行されています。ちなみに昨年は多くて15人でした。

私は死刑制度にいくつかの疑問をもっています。あくまで制度に対してですが。それは、
@「犯罪と刑罰の関係です。刑罰は教育なのか懲罰なのか?」ということです。
 罪の反省もない死刑囚の執行に意味はあるのでしょうか?自殺志願者もいました。
A厳罰は犯罪の抑止力となるのでしょうか?各国の調査では因果関係はないという報告があります。
B冤罪の可能性が0であるという保障が無い以上死なせた後ではどうするのでしょう?
 アメリカではDNA鑑定技術の向上で実際死刑囚の冤罪が複数立証されています。
Cそもそも殺人が罪の行為なら死刑は国家による罪にはならないのでしょうか?
 殺人が罪で殺されるという矛盾です。
D死刑の執行によって本当に犯罪被害者の救いとなり得るのでしょうか?などです。
 有名な永山則夫事件裁判とそして彼の作品「無知の涙」を想起してしまいました。
「教育さえ受けていれば」「親が自分を捨てないで育ててくれてれば」「親から愛されていれば愛することを知っていれば」の慙愧の中、1997年8月1日東京拘置所にて執行されました。
幼い頃からの「愛情に溢れた教育」「善と悪」を知る教育が人間として最も大切と考えます。
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1月の内容
「料理であれ、品物であり手間と時間をかけたものは良いものができる」
と若い頃から良く聞かされたものです。
チキンラーメンができてちょうど50年らしい「お湯をかけるだけで簡単にラーメンができる」「すぐ、おいしい。すごくおいしい」、インスタントということばもこの食品から覚えました。
インスタントラーメンも50年も歴史をもてば他の食品開発への影響力もあってそれなりに功績や進化がみられる
ものです。
製鉄の仕事をしていた父に中学生の頃、どうして外国の石炭を輸入しているのかときいたところ、
日本の石炭は動力燃料としてなら使えるが製鉄用のコークスを作るには向いていないとの返事でした。
石炭そのものが若いらしい、「でも何で若い石炭を掘るの?」と聞くと、
「だったらもう数百万年ほど掘るのを待つか?」と言われ「なるほど待てるわけ無いな」と納得してしまいました。
 数千万年かけて出来た化石燃料といわれる石油や、石炭をこの200年ぐらいで使いきってしまう勢いで消費していることに不安を覚えています。
二酸化炭素を初めとする温室効果ガスの問題は30年以上も前から大学の講義で聞いていました。
そんなことは分かりきっていてどうして今まで問題を先送りにしてきたんだろうと呆れてしまいます。
その頃、食べた柿の種を下宿先の庭に埋めていたのが今では立派な柿の木に成長したと聞いています。
 柿の種といえば、童話の「サル、カニ合戦」を思い出します。
確かサルは今食べたいから、カニが持っていたおにぎりと柿の種を交換します。
それにもかかわらず、カニが種から何年もかかって育てた柿の木と実まで横取りするというひどい話です。
しかし結局サルはカニの友人たちに懲らしめられる結果となります。
欲しいものを今すぐ手に入れることを追い求めるのは問題が多い気がします。
昨今の100年に一度と言われるアメリカをはじめとする金融の問題はものを作ったり育てたりするのでなく
資金を動かすだけで巨額の利益を得てきた結果が生んだように思えます。
ローマカトリック教会の総本山とも言うべきサン・ピエトロ大寺院(聖ペテロ大聖堂)はわずか170年程の歳月で建設されたとききます。
多くの大聖堂は数百年から千年規模の期間を要しています。
当時のローマ市民は5万人程度でしたので、170年という短期間に純金と大理石のみで造られた大建造物の資金を調達する為、ヨーロッパ中から「免罪符」という形で集金したのです。
しかしそれがローマカトリックの信用失墜に繋がって有名なルターによる宗教改革となっていったといわれます。
教会の権威を示そうとした大事業が違った結果を生んでいったわけです。
イエスさまのお誕生を待つ季節、待つことの大切さ覚え、成果や目に見えるもののみ追うことのない教育である
新しい年を迎えたいものです。
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12月の内容
 福井市内の4つのキリスト教主義幼稚園が交替で福井刑務所に「クリスマス会」の慰問に出かけています。
聖劇やお歌のプレゼントします。
驚くことに30年以上も続いているそうです。今年が聖三一幼稚園の当番になっています。
私立幼稚園は年々園児が減少しています。
今回は聖劇の配役の都合もありますので年長さんだけでなく年中のお友だちも参加します。
4年に1回のイベントですが時折、心配の声も聞こえてきます。
「先生、場所が場所だけに安全でしょうね」
「罪を犯して服役している男の人ばかりのところに幼い子どもと女性の教師が行って、好奇の眼にさらされ不快な思いするだけではないですか?」などです。
実は園長もこのお話を聞かされたときは少しとまどいました。
でも担当の刑務官の方々や教悔師(刑務所で受刑者の悔悛の指導をしている牧師や僧侶)の先生と準備してゆくうちにこのイベントの大切さが見えてきました。
クリスマスをお祝いする意味は一体どういうことなのでしょう。
すべての人々のために救い主がこの世界にお生まれになったことをお祝いすることであったはずです。
限られた一握りの人々のためだけでなく、社会の底辺にいる人々、苦しみあえぐ人々の中にこそお生まれになられたイエスさまでした。泊まる宿もなく家畜と同じ部屋でのご出産、飼い葉桶に寝かされた幼子であるからこそ私たちが苦難の中にあっても生きる希望を抱くことができるのです。宮殿に生まれた王子で着ているものが絹の産着、そうではなく藁の布団に包まっていればこその救い主であるのです。
 今夏、福井聖三一教会で職員の研修会でご講演くださった大阪の釜ヶ崎で働く本田哲郎神父がこんなふうに
言われました。
「イエスさまは公園で食料の炊き出しをしている側ではなく、空腹を抱え、列の後ろで自分も握り飯をもらえるかどうか心配しているおじさんたちのそばに一緒に並んでいると思うのです」
本当にそうだと思いました。
 罪を犯して反省の日々を過ごしている人々、更正して社会復帰しようとしている人とともに愛と希望を少しでも分かち合えたらいいなと思います。
聖劇を観賞した受刑者たち(もちろん観賞参加者は希望者の中で許可されたものだけです。刑務所はその中で規則を守れない者や協調性に欠けた者、また暴力的な者はどんどんその自由を制限剥奪されていくのが原則です。)の多くは、子どもたちの純粋無垢な演技に涙するそうです。
残してきた家族を思い出すのか、罪深い自己を見つめるのか、愛に照らされた人間は素直にしか行動できないからだろうか涙するそうです。
子どもたちにはまっすぐ説明するつもりです。
たとえ罪を犯したものたちであっても偏見をもつことなく関わってゆく優しく大きな心を持つことの大切さを教育したいと考えています。
11月30日からクリスマスを準備する降臨節という季節に入ります。
すばらしいクリスマスをお迎えくださいますようお祈り申し上げます。
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11月の内容
 「なぜ年寄りの話が長いか」という本を読んで自分が年寄りの部にかなり入っているような気がしてきました。
年とともに時間経過を意識する感覚が鈍ってくるらしいし、同じ話を繰り返したり話しの方向がどんどんずれて
いったりするのは歳をとった証拠だって書いてありました。ある種のショックをうけました。
自分ではいつまでも若者とは言いませんが中年のおっさんぐらいと思っていたのにこの本によるとかなり年配に
なってしまいます。
また、自分の存在価値を低く扱われたと思い込み些細なことに腹をたてるのも歳をとったという証拠らしいとも
書いてありましたから皆さんに気分を害されないよう気をつけようと思います。
さて、文化の秋深しで、叙勲や受賞の季節です。
喜ばしいことにこの度、本園PTA会長の木村敦子さんが福井県私立幼稚園PTA連合会活動の功績を称え
文部科学省から大臣表彰を受けることになりました。
 3年前福井に赴任し始めての入園式の日の挨拶で「3年でこの幼稚園を日本一の幼稚園にしたい」と豪語しました
そのときある保護者から「何を基準に日本一とします?」と聞かれました。
その後ずっと「子どもたちにとって聖三一が日本一になるとは?」その言葉の意味を考えてきました。
福井県私立幼稚園協会のPTA担当理事を3年間やらせていただき、幼稚園と県の私立幼稚園の保護者の皆さんと共に協力し合いよりよい幼児教育のあり方をさぐってまいりました。そしてこの度の受賞です。
「これが目指していたことなんだ」という喜びがわきました。
子どもたちのために幼児教育上何が一番必要かを保護者と共に求め、福井県全体の中で常に前進することを心がけてきました。つまり、幼稚園の所轄官省は文部科学省ですから本園のPTA会長が文部科学大臣表彰を受けたことは、大きな意味をもちます。
教育はもともと1番2番と競い合うものではありません。ですから、今回の受賞は事実上「日本一」をいただいたということだと思います。
しかしこのことは聖三一幼稚園の功績ということに留まらず福井県全体の私立幼稚園園児の保護者の方々が幼児教育に対する意識のすばらしさを顕彰されたといえることですから喜びも一入です。
 また、去る10月18日名古屋で開かれた「第11回宇宙メダカ研究大会」に於いて聖三一幼稚園が研究発表し
「功績賞」を名誉会長 井尻 憲一 東大アイソトープ研究所教授からいただきました。
このことも感謝とほのぼのとした気持ちを持ってご報告いたします。
来年度から文科省の幼稚園教育課程が改定されますが「命の尊さ」をより育む意味から「宇宙メダカ」の飼育の意義も大きいものと確信しています。
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10月の内容
先日、教会で逝去記念の式をいたしました。仏教で言う49日の法要というところです。
長年聖三一幼稚園で奉職された吉田光子先生が本年の8月10日に心不全のため逝去されたのです。
病室で最後を迎えての言葉は夢の中で子どもたちを保育していたようでした。
先生は終戦間近い昭和20年8月にフィリピンのルソン島で最愛のご主人を戦争で失いました。
終戦直後に京都桃山幼稚園から幼い一人娘と福井の聖三一幼稚園に転任され、以来、40年間にわたる幼児教育に
邁進された方です。
その間に福井の大震災にも遭う激動の時代を立派に生きぬかれた教育者といえるでしょう。
どれほど多くの子どもたちの人生に関わりキリスト教ミッションとしての倫理観や価値観を人々に伝えていかれたかを感慨深く、また最大の敬意を表すものです。
さて、10月1日は福井市私立幼稚園の来年度入園願書受付開始日です。
今年も9月17日と25日に幼稚園説明会をいたしました。
多くの教育に熱心な保護者の方々がお出でになりとても有意義なひと時を持てたように思えます。
というのは、この幼稚園説明会こそ園長自らがその幼稚園の理想に向かっての建学の精神と現状と将来への展望を
整理しつつその教育方針を理解していただく絶好の機会だからです。
とかく、数字のみで価値判断してしまいがちな今日にあって数字で表せない価値あるものを説明することは
難しいことであるけれども、とても大切なことであると思っています。
幼稚園の使命は子どもが初めて出会う学校として、人格の基礎となる部分更にいえば価値観を植えることと
思っています。

何が、世の中で大切なことなのか。
お金で何でも買えるのか。
自分はひとりぽっちではない。
自分も赦されているから人を赦すべき。
みんなと食べれば食事は楽しい。
親切にされるとうれしくなって「ありがとう」と言える。

などなど、考えてみれば僕もミッションの幼稚園に学んだことが根っこになっているといえます。
10月1日以降たくさんの子どもたちがここ聖三一に入園希望されることを心から願っています。
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9月の内容
思い出をいっぱい作った夏休みも終わり子どもたちが幼稚園に元気に帰ってきました。
先日、福井県私立幼稚園来年度教員採用共通試験がありました。
僕も試験主催者として多くの採用希望者と面接いたしました。
「近頃感動したことありますか?」という質問に圧倒的多数の方が「北京オリンピック」のテレビ放映を見て
感動したとの印象でした。
僕も今までのオリンピックの中ではよく見たほうです。
開会式の派手さに驚きもしましたがコンピューターグラフィック映像で作られた花火や女の子のクチパク独唱には
少しがっかりもしています。
オリンピックの放映権収入が2600億円といいますから大変な金額がかかっているのにもびっくりです。
 水泳の決勝はすべて朝早くの競技となったそうです。普通そんな時間に競技することは珍しいらしいのですが
水泳大国アメリカにとって、ゴールデンタイム放映のためらしいのです。
 メインスタディアム(鳥の巣)の外で贋Tシャツを売ってるおじさんが贋者販売を指摘されて
逆に反論していました。
「世の中には母親以外は全部贋物なんだよ」とこのおじさんは人生の中で母親だけは「本物」だったのでしょう。
世界のスポーツの祭典オリンピックが商用や政治に利用されてゆくのにどこか危惧する面をもちつつも若い方々が
汗と涙を流すのを見るのはやはり感動的ではあります。

                      ・・・・・・・

 聖三一幼稚園教職員の夏は研究研修の夏でした。
教育基本法、学校教育法の改正にともない来年度からは文部科学省幼稚園教育要領が10年ぶりに改訂されます。
聖三一幼稚園は新教育要領が改正されたとしても大きく幼稚園教育課程(幼稚園自身にてつくる教育内容)が
変更することはありません。
それはいつも新しい教育で時代を引っ張ってきている自信があるからです。
「見せる保育」によってではなくひとりひとりの子どものすばらしい可能性を見いだし
個性を大切に成長することを願い幼児教育に邁進しているからです。
 そういえば、教員採用試験の面接で「家族の絆」「母の愛情」「家庭の温かさ」という言葉が多く使われていた
ことに何かホッと安心感を受けました。
「いままでのお母さんの言葉で心にある言葉ありますか?」との問いに。

             「自分で考えて決めたことならそれで好きにしたらいいよ」
          「なんだかんだ言っても母さんはあなたなら出来ると信じているからね」
          「楽に勉強しなさい。しんどくなるほどしなくていい楽に生きればいい」
                     「一期一会を大切に」

お母さんのことを話すとき若い先生の卵たちは、目をきらきらさせて輝いていました。
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8月の内容
もうすぐ楽しい夏休みです。
先生たちもいわゆる夏休みが無いにしても「夏休み」という言葉の響きにはなぜかわくわくしてしまいます。
さて、先日の新聞に「子どもたちは将来何になりたい?」のアンケート結果が出ていました。
県内の小学生につきたい職業を聞いたところを10位まで発表されていました。
男の子の1位はプロ野球選手、2位がサッカー選手でした。
なるほど昔とあんまり変わらないなあという感じです。でもちょっと考えさせられたことがあります。
男の子も女の子も1位〜10位までの中に学校の先生(教師)がなかったことです。
少しショックを受けました。
ただ、女の子の4位だったかな「保育士」とあるのを見て少しほっとしています。
子どもの目には幼稚園教員も保育所の保育士も同じように見えているはずだからです。
家族以外の大人で始めて出会いを経験して、職業を見るのは学校教師だと思うのですが、なぜか子どもたちには
人気が無いようです。もちろん、考え方によっては子どもの目にかっこよく映らないほど純粋な教育がなされていると言えるのかもしれませんが、そうなのでしょうか。
子どもは正直ですから、損得や価値観がそのまま職業観に出るはずです。
「かっこいいなあ」「楽しそうだからいいなあ」「お金もうかりそう」「しんどくないみたい」
そういう価値観で職業を選んでいくことについての是非はともかく、学校の先生をなりたい職業に選ばないという
ことは「かっこよくないし」「楽しそうとも思えない」「給料もたいしてよくない」「どうもしんどそう」と思えたのでしょうか?
昔、教師になりたいと思った少年時代がありました。
そのときは先生を「かっこいい」と思い、「毎日こんな楽しい学校に来ることができて給料までもらえるのだからいいなあ」と憧れをもっていました。
いま、子どもたちは学校をどのように感じ、先生の位置づけをどのようにしているのでしょうか。
佐伯市教員採用試験で不正をしてまで教師になっていった人たちはなぜ、先生になりたかったのでしょう。
公平性や公正をなくして教育は有り得るのでしょうか。
圧力や脅しに屈服したところに教育は有り得るのでしょうか。
情熱と信頼を失ったところでの教育はどうなのでしょう。
子どもたちに憧れをもたれるような教育環境を早急につくる必要があるように思えます。
すばらしい夏休みのお送りくださいお祈りしています。
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7月の内容
「孝行をしたいときに親はなし」
親孝行をしたい歳頃にはもう親が亡くなってしまっていて残念だという意味です。
多かれ少なかれ誰でもが親を失ってから分かる気持ちではあります。
でもまた、こうも言われます。
「子どもは育つと呼ばれる歳頃に親孝行をすでにしている」
つまり、9歳までの間に「かわいさ」で親に愛を与えているというのです。
先日、久しぶりに家族全員集合してわたしの誕生日のお祝いをしてくれました。
そういえば、成人した子どもたち全員集まったのは初めてでした。
恋人や結婚観の話で盛り上がる彼らを見ていると
幼稚園や小学校の頃の子育てをつい昨日のように思い出していました。
京都の料理屋だったのですが、誕生日のお祝いだというとお店の方が記念写真を撮ってくれ
その場で何枚か印刷してフレームまで用意プレゼントしてくれました。
便利な時代になったものだと感心したのと同時に
「ほらやっぱりカメラいらないっしょ」といってしまいました。
実は私は子どもの頃から写真が大好きで
小学校高学年の頃から自作のカメラで写真を撮っては自分で現像、焼付けしたり、
特殊な撮影たとえば顕微鏡写真や天文写真を撮ったり、超望遠で蒸気機関車の力強く走る姿を撮影したりと
楽しんでいました。でも高校時代にぷっつりやめてしまいました。
記録に残したり仕事で撮影する以外は興味がなくなりました。
というのはどんなにうまく撮ったにしても心に焼き付けるほど鮮明には撮れないと感じたからです。
ものすごい数の子どもの写真やアルバムがありますがそのほとんどは家内がインスタントカメラで撮ったものです。
25年程前に買った8ミリビデオカメラも使ったのはほとんど勤務した幼稚園の記録用ばかりです。
私は子どもたちがいくつぐらいの頃といわれればその時代の子どもが言っていた言葉や考え方を思い出せることができます。
何故ならビデオや録音機や写真ではなく、直接思い出を心に焼き付けているからです。
仕事の関係で海外出張が多かった頃も私だけカメラを持っていきません。
持って行っても最低限度の写真しかとりません。
でも、思い出はいっぱいあります。目をとじれば色んな国のいろんな景色、風景が見えます。
雑踏のにぎやかさやその場の匂いさえ思い出すことができます。
子どもたちは子どもたちで思い出は親が考えているようではないみたいです。
遠くに遊びに行ったことは「疲れた」しかなかったみたいで
むしろほんの近くの公園でお弁当もって遊びに行ったこと、海で小魚釣ったこと、図書館でいっしょに絵本見たことが思い出になっているみたいです。
図書館で記念撮影することはまずないでしょう。
ちなみに家内が体力限界で頑張って連れて行った東京ディズニーランドはやっぱり「疲れた」「しんどかった」という思い出と聞いてがっくりでした。
ディズニーランドは親と行くより友人や恋人と行くところみたいですね。
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6月の内容
・・・・・・・・・・

イエスは言われた。
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。

(ヨハネによる福音書6章35節)

・・・・・・・・・・
2月末に突然の入院で皆さまにご迷惑をおかけしたのですが
この度またご心配をおかけして誠に重ね重ね申し訳ありません。
 今回は下血騒ぎのトラブルでの入院です。
幸いすばらしい医療従事者の方々と医療機関、設備医薬品に恵まれ着実に回復しつつあること
感謝を持って皆さまにご報告申し上げます。
 出血が3日ほど続いたものですから数日間の絶食、また通常の食事までの少しずつの食事内容の変化を
経験していまさらながら、毎日食事をとれることへのお恵に感謝しなければならないことを痛感しました。
 毎日、病室の天上の模様を見つめる以外は何もすることがありません。
もちろん考えることはできますので、思索にふけるのですが自分の日頃の生活態度の反省だけでなく、
食についての大切なことをもっともっと子どもたちに伝えなければという思いです。
 食べ過ぎで病気にもなりますが、何をいつどれだけ食べるかが大変重要なことだと思います。
そして、その食べ物はどこからどのように自分の口に入ってきたかを良く知ることも大切でしょう。
 ところで入院中、日頃あまり見ることのできなかったNHKの特集などをよく見ました。
地球の環境問題ことに地球温暖化からエネルギー資源や水資源の問題、北極の氷が解けてる事実などを見ました。
また、食料確保が世界的に危機的な状況と聞きました。
そして日本の食糧の自給率が39%(エネルギー供給量2006年統計)であることも本当に考えさせられます。
食することは生きてゆくのに絶対必要なエネルギー確保の方法なのですが
単に必要カロリーを体に摂取することだけではありません。
イエスさまが「わたしは命のパン」と言われたのはそのことでしょう。
食事のとき誰とどのように食べるかがとても大切なことだと思うのです。
病室で何日ぶりかの重湯を本当に感謝しておいしくいただきました。
今は一日も早く家で家族一緒に同じ食事をしたいと強く欲しています。

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5月の内容
「ごめんで済んだら警察いらん」こんな言葉が使われて久しい。でも本当にそうでしょうか。
謝罪して解決できない問題はそんなに多くはないと思うのです。問題は謝るタイミングと方法じゃないでしょうか。
「謝って済むと思うのか」このような言葉は「この思いを何とかしてくれ」とやりきれない思いを述べているのでしょう。私たちの周りを見ると個人と個人から果ては国と国、民族と民族までトラブルで溢れています。
今から38年前生意気盛りの高校生のころ、僕はすべてを論理的な流れの中で解決することこそ正しいと信じ、誰であろうと間違ったものは斬って捨て糾弾し断罪していました。
1970年、社会はそのような時代だったように思います。
アメリカは北ベトナムに毎日ものすごい量の爆弾を落とし、中国とソ連は北ベトナムに武器の援助をして東西の大国はインドシナ半島で代理戦争をさせていました。アフリカでは多くの国が内戦に明け暮れ多くの難民や何万人という餓死者を出していました。そして、日本の大学は学園内外の紛争で教育機関として機能を果たせない状況が続いていました。
僕の通っていた学校も、ときに授業妨害があったり校門がロックアウトされ入れない日がありました。僕自身もいつも何かいらいらしてすべてに文句ばかり言っていました。
ある日の夕食時、父が突然「光禅何を言うのか!」と怒り出したのです。何も言った覚えのない僕は「何も言ってない。耳おかしいのと違うか?」と言わなくてもいいことまで言ったものだから父は怒り心頭まで達し、殴りかかってきました。さすがに僕は殴り返さなかったのですが、母は「光禅謝りなさい」と泣きながら僕をかばってくれましたでも僕は「謝る理由がない。絶対に謝るものか」と殴られるままにしていました。
それから1週間僕は完全沈黙に入りました。家族の誰とも一言も話しませんでした。体や顔の腫れもひいて痛みも無くなったのですが、心は傷ついていました。
「僕は間違っていない。間違っているのは父だ。だから謝るべきは父の方なんだ。」何度論理的に考えても結論はそうなっていくのです。
とはいうものの心の中は寂しさでいっぱいでした。学校からまっすぐ帰れなくなってきました。
「帰るところがない・・・」 (〒_〒)ウウウ教会の牧師に会いに行きました。「間違った人が謝るべきでしょう。僕は何もしていない。それなのに・・」
ところが牧師さんの言葉はこうでした。
「あなたは謝る謝らないにとらわれているけど、本当の望みは和解なのでは?仲直りしたいのでしょ。だったらどっちが先に謝ってもいいんじゃないかな。勇気出して君から謝ってみたら」意外な言葉でした。
帰り道、堪えていた涙が溢れて止まりませんでした。夕方帰宅してきた父に謝りました。
「これから仲良くしよう」父の言葉でした。
それからは一度も父といさかいはありませんでした。
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4月の内容
今年の春は格別の思いがします。
桜もよりあざやかで生気に満ち満ちてるように感じています。
今教会の暦では、復活節と呼んでいます。
それはイエスさまが人類の罪の贖いのため自ら十字架の死を受け3日目に栄光あるよみがえられたことをお祝いする季節という意味です。
私事ながら2月末から3月初めにかけて心臓の調子をこわして皆さまにご心配、ご迷惑をおかけしました。
死というものがとても身近に感じた経験のひとつです。
復活節に復活できたことを大変嬉しく感謝の毎日を送っています。
ただ、この数週間に友人を2人も失ってしまいました。1人は交通事故でもう1人はガンです。
多くの愛する人をお送りして感じることは残されたものとしてしっかり生きる責任を感じています。
新しい年度に新たな心をもって子どもたちに接してゆきたいと思っています。
亡き父が、ちょうど私ほどの年齢の頃「もう私憤は止めようと思う。
これからは怒ることがあっても公憤でありたい」と言っていたのを思い出します。
近頃なんとなく分かるような気がしてきました。私が私がと自己というものが前面に出ているうちは
人は罪に支配されているように思われます。
実際、身体に良いとは思われません。それより、もっと公に納得がいかないことに対しはっきりと発言していかねばと考えます。
高齢者や子どものように、社会的身体的弱者であるものがその当然守られるべき権利等が侵害されてはならないと
思うわけです。
強い人が住みやすく弱い人が住みにくい世界はいい世界とは思われません。
ところが、近頃知らないうちに私的情報が漏れていたり、当然受けるべき権利が本人に知らされていなかったりするのを目にすることが多いのに驚きます。
ひとり暮らしの身体の不自由な高齢者の保証人になっているのですが、よほど注意していないとその方の人権が
無視される状況がよく発生します。
同じように多くの幼児を教育する幼稚園というところにおいてひとりひとりの子どもたちがその人権が損なわれる
ようなことがあってはならないと思っています。
この数年で福井県、福井市とも幼児教育に対して力強い取り組みが良い意味で顕著に現れているのを感じます。
進級された在園児、そして新たに聖三一の園に集う新入園児に神さまの御祝福が豊かに注がれ、保護者と教職員
すべてに復活のキリストのお導きがありますようお祈り申し上げます。
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♪聖三一幼稚園のうた♪
「みんな、神様のプレゼント」

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