ちゃぷれんの広場

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2がつのコラム (2019年02月03日)

感謝と謙虚

~感謝と賛美は私たちのつとめです~ 聖餐式から

毎日のお祈りは、神様への感謝と見守りを心に留める一時です。お友だちはこの一日のわずかな時間をお祈りの時間として大切にしています。

ところで、教会での日曜日ごとの礼拝である聖餐式の中で「感謝と賛美は私たちのつとめです」と祈る場面があります。これは、私たちの祈りの中身、そして生きる意味を教えてくれる言葉です。神さまへの感謝と賛美は、人間の存在の意味や働きについて非常に端的に教えてくれます。人間は創り主である神様を意識すること、そしてその神様に向かって生きる喜びを感じることが人間の生きる意味であると、キリスト教では理解しています。

わたしたちはこのように、祈りの言葉や、祈りの時を通して、私たちの存在の意味や、生き方についての根源的な問いを、日常的に意識し、また無意識的にも、大切なこととして捉え過ごしています。

昨年、ラグビーで神戸製鋼が優勝したことが大きく報じられましたが、その中で大活躍したニュージーランドのダン・カーターという選手がいます。カーター選手はインタビューの中で、ラグビーのニュージーランド代表(オールブラックス)選手時代に何を学ばれましたかという質問に対して「感謝と謙虚」という言葉を語られました。

感謝すること、そして謙虚であること。キャリア的にダン・カーター選手が日本でプレーすることは、ある意味リスクも伴い、名誉と地位だけを考えれば他に人生の進む道もあったのかもしれませんが、ラグビーの素晴らしさをもっと広めたいとの使命から、日本にシーズン途中から来てプレーされたのでした。

当たり前のことかもしれませんが、ダン・カーター選手は神戸製鋼でプレーする前から入念に準備され、謙虚に努力されていたそうです。文化も環境も違う神戸製鋼でのパフォーマンスを最高のものにするために、準備を怠らなかったのです。その姿勢は、まさに謙虚そのものです。自分が世界最高のプレーヤーであるからと言って、相手を見下したり、尊大に振る舞うのではなく、むしろ周りの選手自身も励まされ、謙虚にさせられるようなその姿に、人としての大切なあり方を見たような気がしました。

感謝すること、そして謙虚であること。お友だちが、これから新しい場所へと出かけていく時に、このダン・カーター選手のように、自分も周りのお友だちもいっしょに喜んだり楽しんだりしんどいことも分け合ったりできますように。毎日の祈りの一時が、感謝と、謙虚さを益々育んでくださいますように、お祈りしています。


1月のこらむ (2019年01月03日)

~故ルツ松濱貞子先生を偲ぶ~

「試練の中にあってこそ、謙虚な祈りによって主に守られ、導かれ、そのよろこびと感謝が幼子たちへの愛を更に深めて行った。」松濱先生「創立50年の歩み」より

私たちの敬愛するルツ松濱貞子先生が12月6日(木)早朝、地上での歩みを終え、天国に召されました。101歳と2ヵ月でした。園の主任をしてくださり、40年以上にわたり、子どもたちと共に過ごされ、また教会でいつも子どもたちや子どもたちのご家族のために祈って来られました。

松濱貞子先生は1917(大正6)年10月6日のお生まれで、娘時代の一時期を、幼稚園に隣接していた坂本宅に滞在しておられ、そのころから幼稚園の先生と親しい交わりをされました。その後、郷里で小学校の先生をしておられましたが、太平洋戦争、また敗戦後、ご主人翠さんの故郷福井で、ご家族と共に過ごされることとなりました。しかし、その一年後福井地震に遭遇。全ての物が焼失してしまいました。貞子先生は「一方、内外の方々の支援のもと急ピッチで復興した聖三一幼稚園に迎えられたことは大きな幸いでした。免許状も何もかもなくなった私を、それよりも何よりもノンクリスチャンの私を神様は“来よ!とお招き下さったのでした。神さまは迷える羊を幼な子と共に養って下さいました。」と教会の記念誌に綴っておられます。1949(昭和24)年4月のことでした。

あなたを必要としていますよ、という神様からの招きの声を聞かれ、それに応える決断をされ子どもたちのためのお働きを始められたのでした。

「聖三一幼稚園創立50年の歩み」に貞子先生が大切にしてこられたことが載っています。「神さまによって創られた成長の段階をじっくりと歩もうとしている子どもたちに、私たちが出来ることは、それを助けるための物的・人的の環境をととのえること、そして、真の理解と愛の中で幼子たちの自由のあそびをじっくりと見守る『ゆとり』だと思います。」

今日、私たちの園は、この自由な遊びを通しての保育がますます大切であり、保育者自身が愛と心のゆとりを通して、子どもたちと日々過ごせているのかを自問しつつ、松濱貞子先生が教えてくださった保育の大切さをひしひしと感じています。

私は8年間幼稚園で共に過ごさせて頂く中で、松濱先生が大切にしてこられた保育が、園のあちこちで生きていることを感じてきました。ある先生は、あったかい交わりを大切にされ、子どもたちの前に立つ時は健やかな心と身体で立つことを大切にされ、ある先生は子どもたちとの関係において、手間を惜しまず、本物に触れることを大切にされ、ある先生は季節の草花を通して神様を感じることが出来るように環境を整えられ、ある先生は何事にも丁寧さを大切にすることを、松濱先生から受け継いでこられました。自然を愛する姿にも、松濱先生の影響を感じます。

こどもたちのお庭である幼稚園、そこは神さまが松濱貞子先生を用いられた、天国の花園でした。そのお花畑は、神さまの恵みと言葉にあふれていました。

松濱貞子先生は、「幼稚園の歩みが平坦な道ばかりではなかったようでしたが、しかし神さまの試練の中にあってこそ、謙虚な祈りによって主に守られ、導かれ、そのよろこびと感謝が幼子たちへの愛を更に深めて行ったと思います」、と50年史に綴っておられます。

「試練の中にあってこそ、謙虚な祈りによって主に守られ、導かれ、そのよろこびと感謝が幼子たちへの愛を更に深めて行った。」わたしはここに今園で生活する私たちへのメッセージを感じたいと思います。試練の中にあってこそ、愛を深める祈りがあることを私もこの8年間の間に体験してまいりました。子どもたちやご家族、また幼稚園は試練の中にあった時に、よろこびと感謝の祈りを祈り続けてきました。そこにはいつも松濱貞子先生の祈りがありました。私たちは神さまが松濱貞子先生をお用いになられたのだと思います。心より感謝し、皆様と松濱先生のことをご一緒に偲んで頂ければと思います。


福井聖三一教会のクリスマス (2018年12月08日)

教会のクリスマス、是非お越しください

12月2日(日) 午前10時半 クリスマス礼拝・祝会

12月24日(

午後 7時  ろうそく礼拝・ティー&ケーキ

午後11時半 深夜クリスマス礼拝

12月25日(火)

午前10時半 クリスマス礼拝

(どの礼拝・集まりも無料)


クリスマス会 ありがとうのクリスマス (2018年12月08日)

img_20181130_113406今年もクリスマス会を開催することが出来感謝でした。

今年の礼拝では、小林チャプレンと6人の仲間(トナカイのトナ、羊のメイとメイメイ、黒ヤギさんと白ヤギさん、カメのカメカメ)がお友だちにクリスマスプレゼントを贈ることにしました。それは物ではなく、赤ちゃんイエス様の声を届けるというプレゼントでした。

チャプレンと仲間たちは目を閉じ、耳を澄ましてイエス様の声を聞きました。

イエス様は「みんな、誕生日を心からお祝いしてくれてありがとう、とってもうれしい」という言葉を聞かせてくれました。それをお友だちに伝えました。

きっと、今日は、大好きなおうちの人やご家族、先生方の前で一生懸命、歌ったり踊ったりすることが出来たことでしょう。うまくいったとおもうこともいかなかったとおもうこともそれらすべてが、赤ちゃんイエス様に届きましたよ。イエス様はそのすべてを感謝し、よろこんでおられますよ。

どうぞ、がんばったお友だちと、今日のことを喜び、今夜はゆっくり休んでくださいね。

みんな、ありがとう。

チャプレンと仲間たち


ご卒園おめでとうございます (2018年03月16日)

2018年3月16日、今日、年長ゆり組さんの卒園式がありました。一歩ふみだしていく一人ひとりの姿に、凛々しさと、そしてわくわくを感じながら、みんなと過ごすことが出来ました。

お祝い会で歌った「はじめのいっぽ」、この歌を歌いながら、いっぽ踏み出すその勇気をいつもみんなに教えてもらっていたことに今日気づかされました。これから歩む一歩いっぽが喜びと祝福に満たされますように、お祈りしています。

ご卒園本当におめでとうございます。そしてありがとう。また会いましょう。


1がつのコラム (2018年01月01日)

ごめんなさいとありがとう

園長先生がいつも、ごあいさつと、ありがとうと、ごめんなさいの言える子になってほしいと言われています。

そのどれもがとても深い意味を持っているように思います。最近私は、人に迷惑をかけることをしてしまい、大いに反省することがありました。そしてごめんなさいと言いながら、もう一つ、ありがとうという思いが浮かんできました。

それは、人の気遣いや思いやりに触れる中で、申し訳ないと思う思いと同時に、ありがたい言葉をかけてくださるなあと、心を揺さぶられたからです。

大人になるにしたがってごめんなさいと心から言えることが難しくなっていくような気がするのですが、ごめんなさいという言葉は、ありがとうという言葉と同時か、あるいは互いに関係する言葉のような気がしました。

新しい学期は、いろんな意味で旅立ちの備えであり、新しいステージに向けての心の変化の時でもあります。ごあいさつ、ありがとう、ごめんなさい。これらの言葉は、実は深いところで関係していて、つながっていて、心に深く働きかけるものであることを、子どもたちと一緒に味わいたいと思います。子どもたちは大人が間違ったこと、悪いことをしたらちゃんとあやまれるか、感謝の時にはちゃんとありがとうを表現しているか、あいさつをしているか、敏感に感じ取っています。

園長先生が大切にされているこの言葉を、みんなで大切にしたいと思います。


クリスマスのふしぎに包まれて (2017年12月09日)

名称未設定-23クリスマス会が行われました。

神さまと大好きな人々の眼差しの中で、お友だちは

神さまの不思議な力に包まれて、思いっきり

日頃の練習の成果を出せたと思います。

幼子イエスさまのお誕生を、今年もみんなで

お祝いできたことを感謝いたします。

いつも幼稚園のことを覚えお祈りしてる教会で

クリスマスの祈りをいたします。

どうぞお越しください。


12がつのこらむ (2017年12月01日)

クリスマスが子どもたちを支え導いてくださいますように

「マリアよ、恐れることはありません。」ルカによる福音書1:31

クリスマスはイエス・キリストの誕生日です。キリスト教主義の乳幼児施設では必ず、クリスマスの出来事を心に留めるために、劇や礼拝を通して、クリスマスの出来事を心に刻んできました。

幼稚園や保育園でクリスマスの劇をしたという方は多いのではないかと思います。なぜクリスマスの物語を乳幼児期に心に留めたいかと言うと、それは子どもたちの根っこの部分に神さまの祝福を感じる感性を養ってもらいたいからなのです。もちろん大人になっても一人ひとりが祝福されていることは間違いないのですが、無意識の根っこの部分で自分が祝福されていることを育めるかどうかがその人の人生の最大の重要事項ですし、それは幼子の時ほど心にしみやすいからです。

神様は、幼子イエス様を通して祝福を表されました。それは、力ではなく、弱さに、きらびやかではなく、ほのかに光るともしびの中に、神様の恵みが注がれていることを教えてくれるのです。

年の頃14歳くらいのマリアに、天使ガブリエルが現れて、マリアに恐れるなと告げます。マリアは身に覚えのない結婚前の妊娠という最大級の不安の中で、恐れが喜びに変えられる恵みを信じて、一歩一歩歩き出します。何がマリアを励ましたのでしょうか。それは、今この瞬間、神様が共にいて支えてくださると信じることが出来たからでした。

クリスマスの出来事は、すぐに私たちを強めたり、励ましたり、支えたりするわけではありません。しかし、大事なことは、その日、その時は必ず私に訪れるということを今信じて一歩踏み出すということなのです。

悲しみが喜びに、不安が安心に、疑いが信頼に変えられる、その日その時をただ神さまが知っておられます。

マリアの不安が喜びに変えられたクリスマスを、子どもたち、ご家族のみなさん、そして先生方と共にお祝いしたいと思います。


10がつのコラム (2017年10月01日)

子どもたちの語りかけ

~初めにことばがあった。~ヨハネによる福音書1:1

子どもたちは、いつも声をかけてくれます。いつも好意的で、やさしく、一緒に遊ぶことを求めてくれています。何か修理をしていると、いつもありがとうと言ってくれます。

ある時には、何か心配そうに悩みを打ち明けてくれます。心配事を分かち合ってくれます。

そんな子どもたちの言葉は、神さまの言葉のように大切で、かけがえのない語りかけです。子どもたちの言葉を聞くと、この世には何一つ聞き逃していい言葉はないということを教えられます。

それは、言葉にならない声も含めてです。

今日も沢山の子どもたちの声を聞きました。もしかしたら聞き逃した声があるかもしれません。

聖書の言葉は、意味が分からないことがありますが、それ自体に力があり、言葉自体が、聞いた人の中で生き、その人を養うという考えがあります。わたしはそれを信じていて、いつか子どもたちの中で、聖書の言葉が子どもたちを支え導いてくださると思っています。

同じように、私に語られた子どもたちの言葉も、受け止めきれなかった語りも、それらすべてが私を生かし、支え、導いてくれるのだということを今感じています。今日聞いた子どもたちの言葉は、明日は忘れているかもしれません。しかし、私を支える言葉として私の中で生き、導いてくれていることは確かです。

また同時に、私が語った言葉や仕草も、子どもたちの中で生きていてくれたらなあと思います。もしかしたら私が語った言葉にも命があるのかもしれないということを、逆に子どもたちから教えられます。そうやって、言葉に命があり、言葉が私を支え、導くというごく日常の当り前の中にある、大切な一瞬を、心に留めていたいなあと思います。子どもたち、声をかけてくれてありがとう。


9がつのコラム (2017年09月01日)

平和への試行錯誤 ~先輩たちを覚えながら~

こどもたちが過ごす毎日は、大好きな人の笑顔と見守りで豊かに育まれていきます。やがて園を卒園する時、その先にはより広く、新しい体験が待っています。それがどのような世界であれ、今経験している大好きな人の笑顔と見守りが消えてなくなるわけではありません。むしろ、そのことがより一層大切にされることを、より広く新しい世界で実感し、実現していってほしいと思います。

キリスト教幼稚園や保育の世界では、年間の保育目標に「平和」を掲げ、過ごしている園が多くあります。「平和」を思う時、まず、イエス様がそうされたように、子どもたちを笑顔で迎え、抱き上げて祝福される光景が目に浮かびます。その光景をいかに大切にできるのか、これが私たちに与えられている課題でもあると思います。

戦前の1935年(昭和10)頃幼稚園に北川大輔先生という方がおられました。この方はその後アメリカの神学校で学ばれ、卒業された時、太平洋戦争が勃発し、アメリカの日系人の人々と共に過ごす決断をされました。戦争中アメリカから見て敵国である日本の関係者ということで日系人の方々が捕虜とされたことがありました。北川先生も捕虜とされましたが、先生はこのことを通して、人種差別や人権ということを心に留められ、アメリカ聖公会(キリスト教の教派)や世界教会協議会(WCC)で、このテーマのもとに国際的に活躍されたのでした。この北川先生のことを思う時に、立場や思いの違いというものがこの世界にはあるのだということを思わされるのでした。

平和を心に留めようとする時に、立場や思いの違いが出てきます。そして平和を思う時に、立場の違う者たちが、共に耳を傾け、共に思いを伝えようとするその試行錯誤が大切なように思います。

最初の園長先生であるパウエル先生は、戦争のためにアメリカに帰国されました。子どもたちはパウエル先生が大好きでした。しかし、戦争は、その大好きな先生に銃を向ける方向へ人間を向かわせてしまいました。

人は何度も間違いを犯し、失敗を繰り返すかもしれません。しかし、北川先生が海を越えられたように、そしてパウエル先生が海を越えて来てくださったように、垣根を越えていく人々のおかげで、私たちは共に平和を祈り願うことが出来るのかもしれません。立場や思いの違いに気付かせてもらえるのかもしれません。

平和を生きるために、私たちは試行錯誤を繰り返すのかもしれません。

平和を求め試行錯誤する時、垣根を越えた私たちの先輩がいたこと、そしてその人々を支え見守っておられたイエス様が、今も子どもたちの事を見つめていることを心に留めたいと思います。


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