ちゃぷれんの広場

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10月のコラム (2011年10月01日)

 「イエス・キリストは人の痛みのわかる方」

「イエスがベタニアで重い皮膚病をわずらっている人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」   聖書

 イエスというのは固有名詞で、キリストというのはその方につけられる称号です。キリストには救い主という意味がありますが、その本来の意味は「油を注がれた者」です。
 油は昔から薬として用いられ、傷を癒し、様々なものから体を守り保護する働きがありました。そこで昔は、政治的に救いをもたらす指導者や王に油を注ぎ、神さまのご加護を祈ったのです。
 イエスは、一人の女性から油を注がれました。この女性の名ははっきりしません。
重い皮膚病をわずらっている人の家で食事の席に着いているという状況からは、明らかに社会的に差別を受けている人々とイエスが深く交わっていたことが伺えます。
 この一人の女性がイエスに油を注いだことは、この女性がいかにイエスを大切に思い、イエスが担っている痛みや傷の深さを思い、イエスのために神さまの特別の見守りと導きを祈ったかということをあらわしています。イエスはこの一人の女性の油注ぎのゆえにキリスト、救い主と呼ばれるのです。油を注がれる者はその人自身痛みを抱え、癒される経験をいたします。それゆえに油を注がれる者はその人自身が、痛みを覚える他者のための油となるのです。救い主キリストという称号は、癒された者が、痛みを覚える他者のための癒し人となるというダイナミックな連鎖をあらわす言葉なのです。

キリスト教幼稚園は、イエス・キリストの名のもとに、この共感共苦の連鎖の中で癒し癒されたいと思っています。
園のお友だちは日々、様々な体験の中で痛みを覚えたり、それを克服したりして成長していきます。いわば周りのお友だちや先生方から油を塗ってもらい、今度は油を塗るお手伝いをして一緒に成長しています。そのことが、神さまご自身のお働きであることを覚えていたいと思うのです。

 

 


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