ちゃぷれんの広場

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まわりみちしよー (2014年08月29日)

mt今朝,登園するとなんと、園庭に巨大な絵が。おともだちは、おもわず何かを感じたらしく、「消さないように、とおまわりしよー」っと言って、この絵を大事にするかのようにとおまわりをして入口へ。

ちゃぷれんせんせいもこの絵を見たい時、何か心が騒ぐ感じがしたよ。そう、運動会の季節が来たね。


トンボだー (2014年08月28日)

tmbwひさしぶりの幼稚園。夏期保育がはじまりました。ごあいさつをおえたら、「あ、トンボだー」とおともだちが叫びます。「おーー、トンボだー」。」おもわず季節の移り変わりを感じました。

秋だなあ。おんぶしたおともだちが、ずっしりと重く感じる秋の空。トンボ写ってるかなあ。


一本の道 (2014年08月03日)

i一本の道を描きます。きっと、この道はいろんな人の見えない思いに支えられてるんだね。

だから、新しい道も歩めるね。


ありさん、おはよう (2014年08月02日)

arありさんのお家の前で、ごあいさつ。

今日も、一日よろしくね。

ありさんたち、きょうもお家の内外でいっしょうけんめいです。みんなでお家をたいせつにしてるんだね。


ちゃぷれんじゃーレッド (2014年08月01日)

pおいのりせんたいチャプレンジャーのレッドがもつ、素敵なバトンを、おともだちはくるくるとまわします。

すてきーーーー、お祈りの力、すごいですね。


8月のコラム (2014年08月01日)

種まきのたとえ ~一人ひとりの中に種は蒔かれている~

「その日(ひ)、イエスは家(いえ)を出て(で)、湖(みずうみ)のほとりに座って(すわ)おられた。すると、大勢(おおぜい)の群衆(ぐんしゅう)がそばに集まって(あつ)来た(き)ので、イエスは舟(ふね)に乗って(の)腰(こし)を下ろされた(お)。群衆(ぐんしゅう)は皆(みな)岸辺(きしべ)に立って(た)いた。イエスはたとえを用いて(もち)彼ら(かれ)に多く(おお)のことを語られた(かた)。「種(たね)を蒔く(ま)人(ひと)が種蒔き(たねま)に出て(で)行った(い)。蒔いて(ま)いる間(あいだ)に、ある種(たね)は道端(みちばた)に落ち(お)、鳥(とり)が来て(き)食べて(た)しまった。ほかの種(たね)は、石だらけ(いし)で土(つち)の少ない(すく)所(ところ)に落ち(お)、そこは土(つち)が浅い(あさ)のですぐ芽(め)を出した(だ)。しかし、日(ひ)が昇る(のぼ)と焼けて(や)、根(ね)がないために枯れて(か)しまった。ほかの種(たね)は茨(いばら)の間(あいだ)に落ち(お)、茨(いばら)が伸びて(の)それをふさいでしまった。ところが、ほかの種(たね)は、良い(よ)土地(とち)に落ち(お)、実(み)を結んで(むす)、あるものは百倍(ひゃくばい)、あるものは六十倍(ろくじゅうばい)、あるものは三十倍(さんじゅうばい)にもなった。耳(みみ)のある者(もの)は聞きなさい(き)。」13:1-9

「良い(よ)土地(と ち)に蒔かれた(ま)ものとは、御言葉(みことば)を聞いて(き)悟る(さと)人(ひと)であり、あるものは百倍(ひゃくばい)、あるものは六十倍(ろくじゅうばい)、あるものは三十倍(さんじゅうばい)の実(み)を結(むす)ぶのである。」13:23

イエス様の時代のパレスチナ地方の種まきは11月から1月にかけて、まず種をばら撒くそうです。その後、種が蒔かれた土地を鍬で耕すそうです。種が蒔かれ、その後、その土地を耕す。普通私たちは、耕してから種を蒔きますが、聖書の世界は違う文化的背景があるようです。

子どもたち一人一人には神様からの種が蒔かれています。まずそのことを心に留めたいと思います。そして、その事実こそが私たちが普段聞いても聞かず、理解しているようで理解していないことなのかもしれません。

種まきのたとえばなしを読んでいると、良い種や良い土地はどこか他の所にあるような気がするかもしれません。しかし、イエス様はあなた自身が良い土地で、あなた自身の中にイエス様という種がしっかりと蒔かれていることを、しっかりと聴いて悟りなさい、と言われます。聴いて悟る人とは、ああ、そうだなあと深く心に留め、神様の種が蒔かれていることに感動し、そのことの恵みをじっくりと味わい、かみしめながら生きる人のことなのです。

子どもたちも、保護者の皆さんも、先生方も、神様の種が蒔かれています。私たちはみんな失敗や恐れや悩みを沢山かかえていますが、そんな私たちでさえ豊かに実らせてくださる恵の雨がいつも注がれていることを共に感謝したいと思います。


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