園長先生のコラム

10月のこらむ (2018年10月01日)

生きる土台を育てる ~祈り合うつながり~

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:18〜20)

お祈りは、心の深いところに安心感を育ててくれます。不安はどこからか湧いて出てくることがありますし、不安は大きくなることがあります。その不安は、見たことも会ったこともない人のことを思う時に、目の前に立ちはだかるようなこともあります。

私は奈良県の大和高田市にある高田カトリック幼稚園で幼稚園生活を送っていました。いつも思い出すのは恥ずかしい思い出です。毎日幼稚園から泣いて帰っていました。家と幼稚園が70メートルくらいの距離ですし、今と違って簡単に園の外に出られたのでしょう。それが半年続きました。今もこのエピソードを母がするのを聞くと、何とも言えない恥ずかしさに見舞われます。

半年後に家に帰らなくなったらしいのですが、幼稚園の記憶はこの泣いて帰っていたこと以外に思い浮かばないくらい強烈な記憶です。

その次の思い出は園長先生がオーストラリア人の神父様であったこと、修道女様が園の中に住んでおられたことでした。毎朝聖母子像(マリア様とイエス様)の前でお祈りするのが日課でしたが、それはクリスマスのイエス様誕生と母親のマリア様のことを印象付ける祈りの習慣でもありました。

いつしかオーストラリアから来られた神父様はオーストラリアに帰られましたが、私たちが住むこの世界には、違う国があり、祈りが海の上を超えて行くことがあることを感じ取っていたのでした。その神父様はいつも園のことを思いお祈りしてくださっていました。そのことを母から聞いたのはずっと後のことでした。

先日、当園で戦時中家を作り住んでおられ、後牧師として働かれ、87歳の地上での人生を終えられた野々目司祭様をお見舞いする機会を頂きました。会話は難しかった状況の中で、私は聖三一幼稚園、そして福井聖三一教会のことをお話しした時、強く手を握り、身体を大きくゆすりながら私の話に耳を傾けてくださり、そしてお祈りをさせて頂いた時、神さまの愛に包まれて心と体を委ねていかれるお姿を見たのでした。

司祭であり牧師である野々目先生はこれまで沢山の祈りをし、誰かのために祈って来られました。そして天国に向かうその時、私の祈りの中で、平安を感じながら横たわっておられたと信じます。

祈りは、人生の土台となることを、聖三一幼稚園の大先輩は私たちに、そして子どもたちやご家族のみなさんに、示してくださったと思います。祈りは慰めでもあります。何もできない時、祈ることで救われます。

場所が離れていても、孤独を感じていても、行く先が見えなくても、祈りがあることを信じます。今天国に行かれた野々目司祭様が、天国で聖三一のお友だちのことをお祈りしてくれているでしょう。

そんな祈りの交わりに、養われて今日も過ごしたいと思います。


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