12月のコラム (2025年12月01日)
〈チャプレンのコラム>
小さな種から
教会の宿舎でアサガオの種を蒔いて育てておりました。花が咲き終わり、たくさんの実がなっています。茶色くなった実を取って、指に挟んで押すと、いとも簡単に殻が割れて、種が出てきました。
11月23日、ほとんどツルだけとなったアサガオと、いよいよお別れすることにしました。つらい、寂しい気持ちが込み上がってきます。なぜそのような気持ちが込み上がってきたのでしょうか。それは、「水やりの分量はこれで大丈夫かな?」「ちゃんと芽が出るかな?」とこれまで心配しながら育ててきた私にとって、そのアサガオがかけがえのないものになったからなのだと思います。私は、他でもないこのアサガオと出会ったのです。出会うことによって、別れが生じたのだと言えます。
けれども、別れは、終わりではなく、むしろ始まりとも言えます。茶色くなった実から取れた小さな種。春に蒔いたのと同じ小さな種です。この小さな種に、新しい命が隠されているのだと感じます。
聖書の中で、イエスさまが私たちに一番伝えたかったこと、それが「神の国」です。イエスさまは、「神の国」を、いろいろなものにたとえて話されます。
「イエスは言われた。『神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。』」(マルコによる福音書4章30~32節)
このように、小さな種から大きな枝が張るように、私たちの抱いている悲しみは、決して無駄なものではなく、むしろその悲しみのあるところから、新たな喜びが生まれる。「神の国」とは、そのようなものなのだと言います。2千年前のベツレヘムでお生まれになったイエスさまは、その「神の国」を私たちに約束してくださっています。
« 11月のこらむ:12月のコラム :