園長先生のコラム

12がつのコラム (2018年11月30日)

「真理はあなた方を自由にする ~クリスマスに寄せて~」

聖書

クリスマスは、2000年前にイエスさまがお生まれになられたことをお祝いする礼拝です。イエスさまの誕生は、満足のいくような環境が与えられず、動物たちの暮らす小屋での誕生でした。

今は、クリスマスというとプレゼントや、美味しい食事、また嬉しい行事として知られていますが、クリスマスは、この世で虐げられている人々に、神様からの力づけが、圧倒的な愛の注ぎによってなされた、その出来事を心に留める祈りなのです。

クリスマスの場面に登場する人は皆差別を受けている人々でした。夜働く羊飼い、東方の外国人である学者たち、宿を断られたヨセフ、そして身に覚えのない懐妊を引き受け、乳飲み子イエスと共に難民として外国へ逃れることとなるマリア。

クリスマスは、人間の尊厳を貶められ、生き延びるために必死にその時を生きる人々の物語なのです。

そして、ここに登場する人々は、イエスさまの誕生に出会い、また新たな一歩を踏み出していくのです。自分では何も出来ない乳飲み子イエスさまから何かを頂いて。

この物語を、毎年味わうのは、私たちが何か大切なことを忘れないため、生き生きと生きていくためです。自分の持っている神さまから頂いた賜物を存分に生かし、一緒に喜びを分かち合う生き方をするためです。

以前CAPChild Assault Prevention)子どもへの暴力防止プログラムを受けたことがあるのですが、子どもたちが「安全」「安心」「自由」を感じているかが大事だと教わりました。イエス様は恐らくこのどれをも脅かされる環境に居ましたが、神さまの愛の注ぎは、イエス様を愛の人へと成長させてくださったのです。

イエス様が生き生きと安心し自由を感じられたのはどんな時なのかを考えた時、私はサッカーをしている時が一番生き生きしていると感じています。先日ファミリー・フットサルをしていた時、ある女性の保護者の方がゴールキーパーをされ、私がシュートした時、「バレー部なめるなー」と生き生きとした声と共に、見事私のシュートをセーブされた出来事がありました。その方はバレー部だったそうなのですが、ここ一番という時に生き生きしながら、自分を発揮できることは素晴らしいと思いました。生き生きするということは、何にもまして素敵だなと思います。自由で解放された姿がそこにはあるからです。

クリスマスの場面に出てくる人々が、困難な状況にある人々だと書きましたが、その人々はまさに、生き生きする感覚、安全、安心で自由な感覚を取り戻した人々となったということを、是非クリスマスの出来事として心に留めたいと思います。

一人ひとりの心に、そして子どもたちの心に、クリスマスを通して注がれる神さまからの生き生きした愛の息吹が注がれ、心も体も安全、安心、自由を得ることができますように。


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