園長先生のコラム

11がつのコラム (2022年11月01日)

できあがらない

「大器晩成」という言葉があります。ネットで調べますと、「大きな器は完成するまでに時間がかかることから、真に偉大な人物も大成するのが遅いということ。大人物は遅れて頭角を現すということ。才能がありながら不遇である人に対する慰めの言葉としても用いる」と書かれていました。年配になってから花開く人を指して、「あの人は大器晩成型だね」などと使う言葉です。

これは『老子(ろうし)』に出てくる言葉です。偉大な人物は遅く開花するという意味で使われていて、とりあえずこれで間違いないのですが、もともとの意味は違っていると言われます。「道」というものは、大事なのだけれども、はっきりとは見えにくいものだということを言うために、「本当に平たんな道はごつごつと起伏があるようであり、真っ白なものは黒く汚れているかのようであり、すぐれた方形(四角形)には角(かど)がない。偉大な器ははるか後にできあがり、すばらしい音は耳には聞き取れない」などと、へそ曲がりなことがたくさん書かれています。

ですので「偉大な器ははるか後にできあがる(大器晩成)」は、「偉大な器ができあがるのは、ずっとずっとのちのことだ」、つまり「偉大な器は出来上がらない」、「偉大な器は常に未完成だ」という意味になります。頑張って偉い人になりましょうと言う孔子の常識的な考え方を正面からけなしています。

私たちには、「自分はできあがっている」と思ってしまうことがありますが、「自分はできあがった」と考えている間は、まだまだなのでしょう。できあがってはいけない。気が付けば「親」はいつまでたっても未完成です。子どもたちも、「できた」と言って喜び、「できない」と言って嘆いたりしますが、いつもどこかが未完成で、でも、次の小さな完成を目指してくれればと思います。

高地 敬