ちゃぷれんのこらむ

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6がつのコラム (2023年06月01日)

〈チャプレンのコラム〉

「負ける」ということ

藤井 和人

先日、妻と映画スラムダンクを観に行きました。この映画は、「スラムダンク」という名前の通り、バスケットボールを題材に、高校生たちの青春を描いた漫画が原作となっており、皆さんにとっても馴染みのあるものだと思います。私も高校生のときにそれを熱心に読んでおりました。今回の映画では、原作を土台に、新たな回想シーンを織り交ぜながら、湘北-山王戦の試合が物語の中心になっていました。その中で、私が最も印象に残ったのが、湘北高校の相手チームである山王高校のエース沢北栄治でした。沢北は、高校生ナンバーワン選手として、彼に並ぶ者は誰もいないほど、バスケットボールに関してはずば抜けた才能の持ち主でした。映画のシーンで沢北は、湘北高校との試合を目の前にして、ある神社にお参りに行き、次のように祈ります。「日本でやるべきことは、すべてやり終えました。あとはバスケットボールの本拠地アメリカに渡るだけです。しかし、私にとって必要な経験が日本でまだ残されているとすれば、それを与えてください。」

次の日、湘北高校との試合で、山王高校はまさかの敗北を喫します。試合後、沢北は、自分にとって必要だった経験、それが「負ける」ということであったことに気づき、そこで泣き崩れたのでした。

私たちは、何事をするにしても人生の中で「こんなはずではなかった」といったような挫折を一度は経験するものです。しかし、そのような経験が、新たな自分へと生まれ変わる大きな糧(バネ)になるのだろうということを今回の映画から学んだような気がします。


5月のこらむ (2023年05月01日)

わたしたちに向かって語りかけられる神さま

チャプレン 藤井 和人

ちょうど一年前から、私は運動不足解消のために、野鳥観察を始めました。カメラを片手に、近くの公園や森に足を運びますと、そこにはさまざまな種類の野鳥たちが生息していることに気づかされます。野鳥たちの鳴き声に耳を傾けてみますとどうでしょうか。近くで小鳥がさえずると、それを聞いていたのか、遠くの方から同じように、別の小鳥がさえずります。まるで小鳥同士が互いに対話をしているかのようです。

今月の主題聖句は、「主よ、(サムエル記上39節)です。旧約聖書に登場します少年サムエルは、「サムエルよ」と呼びかける神さまの声を聞きました。そこで少年サムエルは「お話ください。僕は聞いております」と神さまに向かって応答します。そのようにして少年サムエルは、神さまとの対話の中で、神さまと出会い、それ以後、神さまのメッセージをイスラエルの人々に語る預言者となっていきました。

神さまは、単に高いところにある天からこの地上を傍観者のように眺めておられるだけではありません。神さまは、私たちを呼ばれ、私たちに向かって語りかけられます。大切なことは、少年サムエルが「お話ください。僕は聞いております」と神さまに向かって言ったように、私たちも、聖書のみ言葉を通して、今も語りかけておられる神さまの声に耳を傾けていくことなのでしょう。そのように聖書のみ言葉を「聞く」ことを通して、神さまの愛、神さまがいつも私たちを大切に守ってくださっていることを私たちは知っていくのだと思います。


4がつのコラム (2023年04月01日)

一歩を踏み出す

チャプレン 藤井 和人(ふじい かずひと)

はじめまして。この4月から聖三一幼稚園のチャプレンをさせていただくことになりました藤井和人と申します。10年ほど鉄道会社に勤めておりましたが、会社を辞めて、牧師の道を進む決断をいたしました。今年の3月に牧師を養成する神学校を卒業したばかりの駆け出しです。これから園での礼拝のご奉仕を主にさせていただくことになります。

私にとって、春は、どちらかと言えば苦手な季節です。なぜなら、それは、単に花粉症に苦しめられるということだけでなく、新しい生活が始まることに対して不安を抱く季節でもあるからです。そのような季節に、私は「はじめの一歩」という歌を思い出します。

はじめの一歩 あしたに一歩 今日から 何もかもが 新しい

これからどうなるか分からない新しい生活にたとえ不安を抱いていたとしても、それで構わない。大切なことは、それでも勇気をもって一歩を踏み出すことなのだ。この歌には、そのような意味が込められているように思います。キリスト教の信仰から言えば、それは、新しい生活に向かって、その一歩をイエスさまにおゆだねしていくということなのでしょう。

今週の聖句は「子供たちをわたしのところに来させなさい」(マルコによる福音書1013-16節)です。「わたし」とは、イエスさまのことです。イエスさまは、いつも子どもたち一人一人をご自身のおられるところに招いておられます。このイエスさまの招きによって、園での生活の中で嬉しいときも悲しいときも、そこにいつもイエスさまが一緒にいてくださいます。この4月から新たな一歩を踏み出そうとしている子どもたち一人一人の上に、いつもイエスさまのお守りとお導きがありますように、お祈り申し上げます。