6がつのコラム (2026年06月01日)
「大丈夫だよ。」
誰かが隣りで苦しんでいるとき、悲しんでいるとき、どのように声をかけようか、どのように励まそうかと思いながらも、何もできないでいる無力な自分を経験します。
そのようなときに大切なことは、相手の苦しみ、悲しみを無理に取り除こうとするのではなく、むしろその相手の苦しみ、悲しみに共感することなのだと思います。
聖書の中で、「イエスさまは、貧しい人、病気の人の苦しみ、悲しみを知り、深く憐れまれた」ということが記されています。ここで出てきました「憐れむ」という言葉は、ギリシア語で「シュプランクニゾマイ」と呼ばれ、「はらわたを突き動かされる」という意味があります。
相手の苦しみ、悲しみによって、自分のはらわたを突き動かされる。これが苦しみ、悲しみに共感するということです。それゆえに、心の中から湧いてくる言葉があります。そっと語りかけるように「大丈夫だよ。」
本当は大丈夫でないことはわかっている。この苦しみ、悲しみは、生涯ずっと続いてゆくのかもしれない。説明のできない不確かな将来に、「大丈夫だよ」と言える保証があるわけでも、断定することもできない。それでも、「大丈夫だよ」とそっと語りかけるのです。