ちゃぷれんの広場

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7がつのコラム (2026年07月01日)

手を合わせる

園では、日々の生活の中で、子どもたちと一緒に、神さまに向かって礼拝をささげます。ある方から、「礼拝でお祈りをするとき、なぜ、手を合わせるのですか」と素朴な質問をいただきました。お祈りをするときに、「手を合わせる」ことの意味をこれまであまり考えることがなかった私にとって、いただいた質問はとても新鮮なものでした。

「手を合わせる」ということは、私たちの心を神さまに向ける祈りの姿勢であると言えます。そうした身体的な姿勢のことを、キリスト教では、「所作」と呼んでいます。

こんな話を聞いたことがあります。右手は強さを表し、左手は弱さを表します。つまり、手を合わせることは、自分の強さと弱さを合わせることなのだというお話でした。そのように意識して、手を合わせてみますと、不思議と自分の心が整えられていくような気がいたします。大野市のあるお寺の看板に、こんなことが書かれていました。

「手を合わせ仏さまを拝むとき、わたしのツノを知らされる。」

これは、あくまで私の解釈ですが、「わたしのツノ」とは、おそらく「角(つの)」のことであり、それは比喩的に、私たち一人ひとりの心がかき乱された状態、荒々しい気持ちのことなのではないでしょうか。「手を合わせる」ことによって、荒々しい「わたしの心」が知らされ、そのことによって、「わたしの心」が鎮まっていくということを言っているのだと思います。

これからも、礼拝の中で、手を合わせ、「心を整える」祈りの姿勢を、園の子どもたちに身につけてほしいと願っています。